所在地 | 高知県土佐市宇佐町龍旧寺山601 |
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位置 | テンプレート:ウィキ座標2段度分秒 |
山号 | 独鈷山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 波切不動明王 |
創建年 | 伝・弘仁6年(815年) |
開基 | 伝・空海(弘法大師) |
中興年 | 正保年間(1644年~1648年) |
中興 | 山内忠義 |
正式名 | 独鈷山 伊舎那院 青龍寺 |
別称 | 波切不動 |
札所等 | 四国八十八箇所36番 |
文化財 | 愛染明王坐像(国の重要文化財) |
青龍寺(しょうりゅうじ)は、高知県土佐市にある真言宗豊山派の寺院。独鈷山(とっこうざん)、伊舎那院(いしゃないん)と号す。本尊は波切不動明王。四国八十八箇所霊場の第三十六番札所。波切り不動さんの愛称がある。
本尊真言:のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:わずかなる 泉に棲める 青龍は 仏法守護の 誓ひとぞきく
沿革[]
寺伝によれば弘仁年間(810年~824年)に空海(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。弘仁6年(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。本尊の波切不動は、空海が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、空海がその姿を刻んだものであると伝える。
江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって正保年間(1644年~1648年)に再興された。しかし、宝永4年(1707年)には地震と津波で大きな被害を受け、江戸末期に再建された。
境内[]
- 山門
- 本堂:恵果和尚と弘法大師の肖像画が並んで掲げられ、また寄木造の愛染明王像も安置されている。
- 大師堂
- 恵果堂
- 鐘楼門
- 護摩堂
- 青龍大権現堂
- 三重塔
- 聖天堂
- 弁天堂
- 薬師堂
- 白山大権現
- 奥の院遥拝堂
- 恵果和尚墓
- 客殿
石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。
- 宿坊:なし
- 駐車場:20台
文化財[]
- 愛染明王坐像 国の重要文化財、鎌倉時代作、寄木造
交通案内[]
- 鉄道
- 四国旅客鉄道(JR四国) 土讃線 - 波川駅 (20.5km)
- バス
- 高知県交通 「スカイライン入り口」下車 (3.1km)
- 道路
- 一般道:県道47号線 横波スカイライン 竜 (0.8km)
奥の院[]
- 独鈷山不動堂
- 位置:テンプレート:ウィキ座標度分秒
境内より0.8km。奥の院への参道を上り横波スカイラインを横断して山頂へ進むと祠があり、波切不動明王が祀られている。三十六童子から先は裸足で参拝するしきたりとなっている。
前後の札所[]
参考文献[]
- 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
- 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
関連項目[]
テンプレート:Commons
- 四国八十八箇所
- 朝青龍明徳 - 四股名の「青龍」の由来となっている。
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