FANDOM


醍醐寺
所在地 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
位置 テンプレート:ウィキ座標2段度分秒
山号 醍醐山、深雪山(上醍醐寺)
宗派 真言宗醍醐派
寺格 総本山
本尊 薬師如来(重要文化財)
創建年 貞観16年(874年
開基 聖宝
札所等 真言宗十八本山第十二番
近畿三十六不動尊第二十三番(上醍醐)
西国三十三箇所第十一番(上醍醐)
西国薬師四十九霊場第三十九番
役行者霊跡札所
文化財 醍醐寺境内(史跡)
金堂、五重塔、木造薬師如来及両脇侍像ほか(国宝)
清滝宮本殿、絹本著色阿弥陀三尊像、木造薬師如来及両脇侍像ほか(重要文化財)
三宝院庭園(特別史跡、特別名勝)
世界遺産

醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。 境内は日本さくら名所100選に選定されている。

歴史 編集

醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝准胝観音(じゅんていかんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称する)、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

その後応仁の乱など相次ぐ戦争で下醍醐は荒廃し、五重塔しか残らないありさまであった。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに紀州などからの寺院建築の移築や三宝院の建設などにより今日見るような姿となっている。

1939年夏、上醍醐を襲った山火事で短時間の間に、経蔵、清滝宮本殿、西国三十三所第11番札所の准胝堂(じゅんていどう)が焼失した。

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震の影響で、五重塔、金堂などの漆喰がはがれた。

2008年8月24日の落雷による火災で、上醍醐の准胝堂(1968年再建)がほぼ全焼した。

2011年1月22日に、理性院の外壁に、コーヒー様のもので落書きされているのが見つかった[1]

2011年4月16日重要文化財に指定されている金剛力士像の一部が破損しているのが見つかった。金剛力士像のある場所では同日に、賽銭を盗もうとした人物が、地元警察に現行犯逮捕される事件があり、関連性を捜査中[2]

伽藍 編集

ファイル:Daigoji Sanboin Kyoto03s3s4592.jpg
ファイル:Daigoji01 1024.jpg
ファイル:Daigoji Kyoto02bs4200.jpg

上醍醐と下醍醐は険しい山道で隔てられ、徒歩で1時間は要する。

下醍醐 編集

本尊薬師如来を安置する「金堂」、「三宝院」などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がる。応仁の乱によってほぼ全焼し、その後も幾度の火災によって焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残る。また五重塔内部に描かれた壁画も国宝に指定されており、中でも空海の肖像画は現存する最古のものである。

  • 金堂(国宝)
入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期建立。豊臣秀吉の発願により紀州から移築したもので、慶長3年(1598年)から移築を開始し、秀吉没後の慶長5年(1600年)に落慶している。『紀伊名所図会』等によると、当初は紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)本堂であったという。部材には平安時代のものが残るが、堂が湯浅にあった鎌倉時代に改修を受けており、移築時の桃山時代の手法も混在する。立ちの高い入母屋屋根は近世風で、移築時の改修である。内部には本尊薬師三尊像(重要文化財)を安置する。堂内は内陣と外陣(礼堂)の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色がある。
  • 五重塔(国宝)
天暦5年(951年)建立。承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇子の代明親王(よしあきらしんのう)が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。しかし、代明親王の死去(937年)などがあって工事は停滞し、完成したのは発願の20年後であった。総高38メートル。うち相輪部が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。屋根の逓減率が大きく[3]、塔身の立ちが低いため、後世の塔のような細長いプロポーションにはならない。創建以来たびたび修理を経ているが、中でも天正13年(1585年)の地震では一部の軒が垂れ下がるなどの甚大な被害を受け、豊臣秀吉の援助で慶長3年(1597年)に修理が完成している。昭和25年(1950年)の台風でも被害を受け、同35年(1960年)に修理が完成した。京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であるとともに、初重内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、塔本体とは別に「絵画」として国宝に指定されている。
  • 西大門
  • 清瀧宮本殿(重要文化財) - 慶長4年(1599年)建立。
  • 弁天堂 - 昭和5年(1930年)に林泉の北東岸に建立された建物。
  • 大講堂 - 昭和5年(1930年)建立。
  • 女人堂
ファイル:Kamidaigo01s2048.jpg

上醍醐 編集

西国三十三箇所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現(せいりゅうごんげん)拝殿(国宝)、准胝堂、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂(重文)と開山堂(重文)と白山大権現が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。

  • 薬師堂(国宝)
醍醐天皇の勅願により延喜7年(907年)頃に聖宝(理源大師)により創建。現存の堂は保安2年(1121年)の建立。入母屋造、檜皮葺き。正面5間、側面4間。側面の柱間4間のうち、中央の2間が狭く、前寄りと後寄りの各1間が広いのは珍しい。内部には薬師三尊像(国宝)、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像(以上重要文化財)などを安置していたが、現在はすべて下醍醐の霊宝館に移されている。
  • 清滝宮拝殿(国宝) - 永享6年(1434年)に再建、清滝宮は弘法大師(空海)が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社。
  • 醍醐水 - 聖宝が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉。
  • 准胝堂 - 聖宝が如意輪堂とともに建立、西国三十三所観音霊場第十一番札所。2008年8月24日焼失。
  • 五大堂 - 聖宝が開いた国家鎮護の祈願道場。
  • 如意輪堂(上醍醐) - 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建、理源大師(聖宝)により准胝堂とともに建立されたと伝わる
  • 開山堂(上醍醐) - 如意輪堂ともに慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建、内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像など安置

テンプレート:Gallery

年中行事 編集

醍醐寺の主な行事としては、醍醐派が本家である壮大な屋外大護摩柴燈護摩(さいとうごま)を中心とした施餓鬼法要が8月に厳修されるほか、2月には同様に柴燈護摩を炊き上げて五大明王の功徳を讚える「五大力尊仁王会」(ごだいりきそんにんのうえ)が厳修され併せて150キロ近い巨大な鏡餅を持ち上げる力比べが行われることで有名。また4月には豊臣秀吉の「醍醐の花見」にちなんで現在も全山を揚げての花見会が開催される。

文化財 編集

テンプレート:右

国宝 編集

建造物
  • 金堂
  • 五重塔
  • 清滝宮拝殿(上醍醐)
  • 薬師堂(上醍醐)
  • 三宝院唐門 - 1599年建立
  • 三宝院表書院
絵画
  • 絹本著色五大尊像
  • 絹本著色文殊渡海図
  • 絹本著色訶梨帝母像
  • 絹本著色閻魔天像
  • 五重塔初重壁画(板絵著色)18面
  • 紙本著色絵因果経
彫刻
  • 木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
書跡・典籍、古文書
  • 大日経開題 弘法大師筆
  • 後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡(三通)
  • 後醍醐天皇宸翰天長印信(蝋牋)
  • 狸毛筆奉献表 伝弘法大師筆 
  • 理源大師筆処分状

重要文化財 編集

建造物
  • 清滝宮本殿
  • 如意輪堂(上醍醐)
  • 開山堂(上醍醐)
  • 三宝院殿堂(玄関、勅使の間・秋草の間・葵の間、庫裏、宸殿、純浄観、護摩堂)
  • 三宝院宝篋印塔
絵画
  • 絹本著色阿弥陀三尊像
  • 絹本著色大日金輪像(1902年重文指定、98.2×60.9cm)
  • 絹本著色大日金輪像(1941年重文指定、96.4×83.3cm)
  • 絹本著色虚空蔵菩薩像
  • 絹本著色地蔵菩薩像
  • 絹本著色普賢延命像
  • 絹本著色弥勒菩薩像
  • 大元帥法本尊像(絹本著色大元帥明王像(卅六臂、八臂、四臂)3幅・毘沙門天像・伝釈迦曼荼羅図・虚空蔵曼荼羅図)
  • 絹本著色愛染明王像
  • 絹本著色金剛夜叉明王像
  • 絹本著色大威徳明王像
  • 絹本著色五秘密像
  • 紙本墨画不動明王像 5幅
  • 紙本墨画密教図像 39点
  • 絹本著色山水屏風 六曲屏風
  • 絹本著色仁王経曼荼羅図
  • 絹本著色般若菩薩曼荼羅図
  • 絹本著色弥勒曼荼羅図
  • 絹本著色両界曼荼羅図
  • 絹本著色六字経曼荼羅図
  • 紺絹金泥六字経曼荼羅図
  • 紙本著色十巻抄(第十巻補写)
  • 金地著色扇面散図 伝俵屋宗達筆 二曲屏
  • 金地著色舞楽図 俵屋宗達筆 二曲屏
  • 紙本著色調馬図 六曲屏
  • 紙本墨画芦鴨図 俵屋宗達筆(二面衝立)
彫刻
  • 木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)
  • 銅造阿弥陀如来坐像
  • 木造阿弥陀如来坐像
  • 木造聖観音立像
  • 木造千手観音立像
  • 木造如意輪観音坐像
  • 木造地蔵菩薩立像
  • 木造弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置)
  • 木造閻魔天像
  • 木造吉祥天立像
  • 木造金剛力士立像(所在西大門) - 1134年造立
  • 木造帝釈天騎象像
  • 木造五大明王像(旧三宝院護摩堂安置)
  • 木造不動明王坐像 快慶
  • 木造不動明王坐像
  • 木造五大明王像(上醍醐五大堂安置)[4]
  • 木造理源大師坐像(開山堂安置)
工芸品
  • 金銅仏具(如意、九鈷杵、五鈷鈴、金剛盤) 
  • 金銅両界曼荼羅
  • 石燈籠
  • 線刻阿弥陀五仏鏡像
  • 線刻如意輪観音等鏡像
  • 鍍金輪宝羯磨紋戒体筥
  • 沃懸地螺鈿説相箱(いかけじらでんせっそうばこ) 一双
  • 螺鈿如意
書跡・典籍、古文書
  • 浄名経集註 巻第九 
  • 紺紙金泥般若心経 後奈良天皇宸翰
  • 孔雀経音義 真寂法親王撰 3帖
  • 諸寺縁起 18帖
  • 多羅葉記 心覚撰 3帖
  • 大唐西域記巻第十一、巻第十二
  • 仏制比丘六物図
  • 法華経釈文 仲算撰 3帖
  • 理趣経 足利尊氏筆 
  • 中阿含経 巻第十四残巻
  • 論語 巻第七 
  • 悉曇字母(飛雲紙金銀箔散料紙)
  • 随仏念誦要訣 淳祐筆 
  • 菩提荘厳陀羅尼・無垢浄光根本陀羅尼・一切如来心秘密全身宝篋陀羅尼・千手千眼陀羅尼・阿弥陀大真言 1巻
  • 宋版一切経 6,096帖
  • 醍醐寺聖教類 40,676点
  • 醍醐花見短籍 豊臣秀吉及一座各筆 百三十一葉
  • 醍醐雑事記 巻第七 
  • 醍醐雑事記 慶延記 15帖 
  • 醍醐根本僧正略伝
  • 醍醐寺新要録 義演自筆本 22帖 
  • 東大寺要録巻第一、二 
  • 本朝文粋 巻第六残巻 
  • 江談抄
  • 遊仙窟
  • 性霊集 法助准后跋 10帖
  • 弘法大師廿五箇条遺告
  • 義演准后日記 62冊
  • 賢俊日記 2冊
  • 満済准后日記 38帖
  • 後宇多天皇宸翰御灌頂御諷誦
  • 僧綱牒(延喜八年二月廿一日 聖宝、観賢等署判 )
  • 東南院院主房起請(延喜七年二月十三日) 
  • 醍醐寺文書 16,403通

近代以降に焼失した文化財 編集

  • (旧)五大堂(上醍醐) - 旧国宝建造物。昭和7年(1932年)4月3日、護摩の火が屋根に燃え移り焼失。
  • 経蔵(上醍醐) - 旧国宝建造物。昭和14年(1939年)8月29日、山火事が飛び火して焼失。

指定文化財ではないが、上醍醐の准胝堂(1968年再建)は、平成20年(2008年)8月24日、落雷による火災で焼失している。

教育機関 編集

ファイル:Daigoji Gojunoto.jpg

施設 編集

  • 醍醐寺文化財研究所
  • 霊宝館

周辺情報 編集

アクセス 編集

  • 山科駅(JR・京阪・地下鉄)より京阪バス22・22A・24・24A系統「醍醐三宝院」下車すぐ。
  • 地下鉄醍醐駅より徒歩10分または醍醐コミュニティバス4号路線「醍醐寺前」下車すぐ。
  • 六地蔵駅(京阪・JR・地下鉄)より京阪バス22・22A・24・24A系統「醍醐三宝院」下車すぐ。

御詠歌 編集

逆縁も 
もらさで救う 
願なれば 
准胝堂は 
たのもしきかな

前後の札所 編集

西国三十三箇所
10 三室戸寺 -- 11 上醍醐寺 -- 12 正法寺

脚注 編集

  1. 世界遺産・醍醐寺の「理性院」外壁に落書き 「非常に悲しい」と住職 産経新聞 2011年1月17日
  2. 京都・醍醐寺の金剛力士像が破損 重文、器物損壊の疑いも (日本語) - 産経新聞 2011年4月17日
  3. 仏塔の屋根は、初重が最も大きく、二重、三重と上へ行くにしたがって次第に小さくなるが、その減少率が大きいという意。
  4. 2004年に「木造大威徳明王像 1躯 附・木造不動明王・降三世明王、軍荼利明王、金剛夜叉明王像 4躯」として重要文化財に指定されたが、2009年に附指定の4躯を本指定に格上げし、指定名称も「木造五大明王像 5躯」となった。

参考文献 編集

  • 井上靖、岡田宥秀『古寺巡礼 京都3 醍醐寺』、淡交社、1976
  • 『週刊朝日百科』「日本の国宝 72 醍醐寺」、朝日新聞社、1998

関連項目 編集

テンプレート:Wikinewshas

外部リンク 編集

テンプレート:Commons


テンプレート:古都京都の文化財cs:Daigodži de:Daigo-ji en:Daigo-ji fi:Daigo-ji fr:Daigo-ji ko:다이고지 pt:Daigo-ji sv:Daigoji zh:醍醐寺

広告ブロッカーが検出されました。


広告収入で運営されている無料サイトWikiaでは、このたび広告ブロッカーをご利用の方向けの変更が加わりました。

広告ブロッカーが改変されている場合、Wikiaにアクセスしていただくことができなくなっています。カスタム広告ブロッカーを解除してご利用ください。

FANDOMでも見てみる

おまかせWiki