岩屋寺 | |
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所在地 | 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468 |
位置 | テンプレート:ウィキ座標2段度分秒 |
山号 | 海岸山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 伝・弘仁6年(815年) |
開基 | 伝・空海(弘法大師) |
正式名 | 海岸山 岩屋寺 |
札所等 | 四国八十八箇所45番 |
テンプレート:Mapplot テンプレート:Commons 岩屋寺(いわやじ)は、愛媛県上浮穴郡久万高原町(旧美川村)にある真言宗豊山派の寺院。山号は海岸山(かいがんざん)。本尊は不動明王。四国八十八箇所の第四十五番札所。
本尊真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
ご詠歌:大聖の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある
歴史[]
開創伝承[]
寺伝によれば、弘仁6年(815年)霊地を探して山に入った空海(弘法大師)は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたという。山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。山中の霧を海にたとえた歌である。
中世以降[]
鎌倉時代中期に時宗の祖一遍がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。一時は第四十四番大寶寺の奥の院とされていた。明治31年(1898年)に堂宇のほとんどを焼失し、現在の堂宇のほとんどはその後の再建によるものである。
境内[]
- 山門(仁王門)
- 本堂
- 大師堂:国の重要文化財。文化財の項参照。
- 鐘楼
- 水子地蔵尊
- かなえる不動
四国八十八箇所の札所のうち、バス、自家用車等を利用しても、境内まで最も長い距離を歩かなくてはならない寺である。麓から参道の石段を上り、途中の山門を過ぎてさらに上って行くと左に水子地蔵尊、鐘楼、右に手水場、庫裏・納経所がある。さらに少し上ると本堂が、その左のほうに大師堂がある。大師堂を過ぎて山を入っていくと三十六童子行場、逼割禅定(せりわりぜんじょう)・鎖禅定がある奥の院に至る。
- 宿坊:なし
- 駐車場:105台
文化財[]
重要文化財
- 大師堂
- 大正9年(1920年)の建立。設計は愛媛県出身で大蔵省営繕管財局技手などを務めた河口庄一、大工は窪田文治郎らである。宝形造、銅板葺き。正面の向拝の柱は左右とも双子柱とし、母屋の四隅は3本組の柱とする。これは伝統的仏堂建築にはみられないものである。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定された。
その他
- 岩屋寺境内
- 岩屋寺仁王門
交通案内[]
- 鉄道
- 四国旅客鉄道(JR四国) 予讃線 - 伊予中山駅 (37.2km)
- バス
- 伊予鉄南予バス 「岩屋寺」下車 (0.6km)
- 道路
- 県道12号線 岩屋寺 (0.6km)
奥の院[]
- 白山行場
- 本寺から山を100mほど進んで不動明王立像のある門を入り、逼割禅定・鎖禅定を越えた山頂に白山権現を祀る石の祠がある。
前後の札所[]
参考文献[]
- 四国八十八霊場会編『先達教典』、2006年
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編、へんろみち保存協力会、2007年(第8編)
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』526号、第一法規、2007年
外部リンク[]
関連項目[]
- 古岩屋
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