地蔵寺 | |
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所在地 | 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5 |
位置 | テンプレート:ウィキ座標2段度分秒 |
山号 | 無尽山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 勝軍地蔵菩薩 |
創建年 | (伝)弘仁12年(821年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 無尽山 荘厳院 地蔵寺 |
札所等 | 四国八十八箇所5番 |
文化財 | 本堂、五百羅漢堂など(登録有形文化財) |
地蔵寺(じぞうじ)は徳島県板野郡板野町にある真言宗御室派の寺院。四国八十八箇所霊場の第五番札所。無尽山(むじんざん)荘厳院(しょうごんいん)と号する。本尊は勝軍地蔵菩薩。勝軍地蔵菩薩は甲冑(かっちゅう)を身にまとい馬にまたがる姿をしており、八十八箇所中で勝軍地蔵を本尊としているのは本寺だけである。
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:六道の 能化の地蔵 大菩薩 導き給え この世のちの世
歴史[]
寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が自ら1寸8分(約5.5cm)の勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したと伝えられる。
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。熊野権現の導師であった函上人が、権現の霊木に2尺7寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、大師が刻んだ地蔵菩薩を胎内に納めたという。
本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建された。
伽藍[]
- 山門(仁王門)
- 本堂
- 大師堂
- 不動堂
- 恵比寿堂
- 淡島堂
- 八角堂
- たらちね大銀杏:樹齢800年を越えるといわれる大木。
- 水子地蔵尊(水琴窟)
山門を入って行くと右に大銀杏がありその先で石畳が交差している。左に進むと左手に手水鉢があり、正面奥に本堂が建つ。その右手には不動堂・恵比須堂があり、石畳を戻ると手水鉢の向かいに水琴窟のある水子地蔵尊がある。大師堂は本堂に向かい合わの位置にある。大師堂の右に淡島堂がある。納経所は山門の正面にある庫裏の右端である。庫裏の左前には八角堂がある。
- 宿坊:なし
- 駐車場:50台・バス10台
画像[]
交通案内[]
- 鉄道
- 四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 - 板野駅下車 (3.4km)
- バス
- 徳島バス鍛冶屋原線「羅漢」下車 (0.3km)
- 道路
- 一般道:県道34号線 羅漢 (0.2km)
- 自動車道:高知自動車道 板野IC (5.0km)、徳島自動車道藍住IC (6.0km)
奥の院[]
- 羅漢堂(五百羅漢)
本寺の北側にある。木造の羅漢は全国でも珍しい。安永4年(1775年)に実聞・実名という兄弟の僧によって創建された。高さ4丈の釈尊を中心に回廊にほぼ等身大の五百羅漢が安置され地元では「羅漢さん」の名で親しまれている。1915年(大正4年)の火災で焼失し、その後1922年(大正11年)に再建したのが現在の堂で、3度目の復興である。拝観料¥200。
文化財[]
- 登録有形文化財
- 本堂
- 不動堂
- 大師堂
- 経蔵
- 五百羅漢堂
前後の札所[]
参考文献[]
- 四国八十八箇所霊場会編『先達教典』 2006年
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
関連項目[]
テンプレート:Commons
- 四国八十八箇所
- 日本の寺院一覧
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