所在地 | 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地 |
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位置 | テンプレート:ウィキ座標2段度分秒 |
山号 | 竺和山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 伝・天平年間(729年 - 749年) |
開基 | 伝・行基、聖武天皇(勅願) |
正式名 | 竺和山 一乗院 霊山寺 |
札所等 | 四国八十八箇所1番 |
霊山寺(りょうぜんじ)は徳島県鳴門市大麻町にある高野山真言宗の寺院。竺和山(じくわさん)一乗院(いちじょういん)と号する。釈迦如来を本尊とする。とくしま88景に選定されている。
四国八十八箇所霊場の第一番札所である。第一番ということで遍路を始めようとする人は本寺を起点とする場合が多いため、巡礼装束である白衣や金剛杖、菅笠、納経帳、掛け軸など様々な巡礼用品を揃えることができる売店が本堂横と駐車場にあり、遍路初心者には遍路作法なども伝授している。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり
沿革[]
寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創されたという。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたという。本尊の釈迦如来は空海が刻んだもので左手に玉を持った坐像である。
室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つであったが、天正年間(1673年 - 1693年)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されたが明治時代の出火でまた多くの建物を失った。本堂と多宝塔以外は近年の再建である。
札所番号[]
寺伝その他の言い伝えでは空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海も渡唐前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。実在の人物としての空海は、弘仁年間には都で密教の普及に努めていた。
江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んになると、四国を修行した僧などが案内書を出版するようになる。そのうちの一人が大坂で四国邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)を出版した真念であり、この真念がはじめて八十八箇所を特定し札所番号を定めた。当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするのが一般的であったので、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第一番札所と定めたと推測される。
境内[]
- 山門(仁王門)
- 本堂 本尊釈迦如来は秘仏。
- 大師堂
- 鐘楼
- 多宝塔:五智如来像を安置している。応永年間(1394~1428)の建造。
- 本坊
山門を入るとすぐ左に手水鉢がありその後に鐘楼がある。先に進むと左手に多宝塔、その向かいの池の先に大師堂がある。多宝塔の並びには十三佛、不動明王が祀られ、正面の最も奥に本堂がある。本堂の左の部屋に納経所と遍路用品販売所があり、初心者には遍路の作法などを教えている。
- 宿坊:休業中
- 駐車場:普通車100台・バス10台
行事[]
- 正月三が日
- 正月護摩祈祷
- 2月節分
- 星祭り、厄除け祈祷
- 2月21日-末日
- 接待講 お遍路を菓子などで接待する
- 4月第1日曜
- 釈迦誕生会、青葉祭り、花祭り
- 6月15日
- 大師誕生会、青葉祭り
他、毎月1日には護摩供養が行われる。
交通案内[]
- 鉄道
- 四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 - 板東駅 下車 (0.8km)
- バス
- 徳島バス・鳴門市営バス 大麻線「霊山寺前」下車 (0.1km)
- 道路
- 一般道:県道12号線 霊山寺前 (0.1km)
- 自動車道:高松自動車道 鳴門IC (8.1km)、同 板野IC (3.0km)、徳島自動車道 藍住IC (6.3km)
奥の院[]
東林院 八葉山 神宮寺 東林院(番外霊場)
- 所在地:徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59
- 位置:テンプレート:ウィキ座標度分秒
- 山号:八葉山
- 宗派:高野山真言宗
- 本尊:薬師如来
- 創建年:(伝)天平5年(733年)
- 開基:(伝)行基
- 寺宝:「種蒔きの鉄鉢」「緋の衣」等
霊山寺から県道12号線を西に3.8km。鳴門線阿波大谷駅からは0.7km。大同3 - 4年(808 - 809年)頃、当寺に滞在していた空海が農業奨励のため自ら鍬を持ち米麦の種を蒔き、旱魃や疫病のなきよう祈祷したとされるところから、別名「種蒔き大師」と呼ばれる。
詳しくは東林院を参照。
前後の札所[]
参考文献[]
- 四国八十八箇所霊場会編 先達必携 2006年
- 大野正義『これがほんまの四国遍路』(講談社現代新書)
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編、へんろみち保存協力会、2007年(第8版)
- 同 資料編 2007年(第7版)
関連項目[]
外部リンク[]
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